■序論~なぜ今、コマネチなのか
それは突然の違和感から始まった。
「『コマネチ』って本当にビートたけしのギャグなんだろうか」
この違和感は「これ良い曲なんだけど、ビートルズの曲だっけ」とか「これ面白いけどジャンプの漫画だっけ」といった違和感に似ていた。
つまり私はこのように思ったのだ
「『コマネチ』はビートたけしに似合っていない」
■コマネチの発生過程
なぜ私は「『コマネチ』はビートたけしに似合っていない」と思ったか。
それを説明するには、コマネチの発生過程にまで遡らなければならい。
ビートたけしの不朽のギャグ「コマネチ」はルーマニアの体操選手「ナディア・コマネチ」に由来する。
彼女がオリンピックで着用したユニフォームのハイレグ具合に着目し、それを「がに股になり両手を股間部分で合わせた後、勢いよくV字に引く」という動作で戯画化したのがコマネチというギャグだ。
ここからは推測も混じるが、この先の論考が「リアルタイムでコマネチを体験しなかった世代」独自の視点で描いたものあることも加味してご容赦願いたい。
コマネチははじめから独立したギャグとして存在したわけではない。
想像するにコマネチはこのような形で世に出たのではないか…
「そういやよ、あいつよ、ルーマニアのナディア・コマネチ。妖精だっ!とかなんとか言ってよ、金メダルなんか取っちゃったりして。でもよ、あいつの衣装みた?こんなんだよ、「コマネチ」って…」
ツービート時代のたけしの代名詞のだった毒舌社会風刺漫才の一節(想像)である。
つまり、コマネチははじめギャグではなく「社会=ナディア・コマネチに対するツッコミ」だったのである。
■なぜコマネチはウケたのか
なぜひとつのネタの中の1ツッコミが、国民的大ヒットギャグとなったのだろう。
その理由はコマネチが「タブーを破るギャグ」であったからに他ならない。
確かに今見てもフォルムとして非常に優秀なコマネチだが、当時爆発的に受けたのには、その社会的背景を無視することはできない。
コマネチ以前、ナディア・コマネチを見た人たちはこう思っていたはずだ
「なんかエロいなぁ」
ナディア・コマネチはオリンピックの金メダリストだから当然テレビに映るわけだ。
しかし、ユニフォームといえども若い女性のあんなきわどい姿をブラウン管越し見てしまって良いものだろうか?それにしてもエロいなぁ、と当時の日本人は思っていたのである。
それはシャラポアが登場したときに起きた「乳首立ってるけど大丈夫なのか?」というお茶の間の当惑と近いものだったはずである。
その怪しくも甘美な響きを持っていた「コマネチ」のイメージを、たけしの「コマネチ」は一気にぶち壊しにした。
「お前、あのねえちゃん見てちょっとスケベな気持ちになってたろ、そうだろ?」
当時、ナディア・コマネチを服装をがに股V字で表現するということはそういう意味を持っていた。
「なんとなく言えないけどみんな思っていること」つまり『現代のタブー』を鮮やかに破ってしまったところに、コマネチというギャグがあれだけウケた理由があるのだ。
■コマネチの独立
ツッコミとしてはじまったコマネチだったが、社会からの強烈な反応もあり、空前の人気となった。
そして、この時期に「コマネチの独立」が起こる。
本来、コマネチは「そういやよ、あいつよ、ルーマニアのナディア・コマネチ…」といった一連の振りがなければ成り立たないものだ。
しかし、客は本来の文脈をすっ飛ばして「はやくコマネチをみたい」という要求を強くしていった。
たけしもそれに応え、流れを無視してコマネチを単独で行うようになった。
これが「コマネチの独立」である。
このパラダイムシフトにより初期の「タブーを破る《コマネチ》」から客の求めに応じる「コマーシャル/POPな《コマネチ》」へと変化していったのである。
■コマネチの過激化
私のように90~00年代のたけしに親しんできたものにとって、はじめて絶頂期のコマネチをみたときの衝撃は筆舌に尽くしがたいものがある。
「コマネチっ!コマネチ、コマネチ、コマネチ、コマネチ、コマネチっ!」
前節で触れたようにコマネチは一度「タブーを破るもの」から「POPなもの」に漂白された。
コマネチはPOP化することでポピュラリティーを獲得したが、それと同時にすべてのギャグがそうであるように「消費され=飽きられ」始めた。
大ヒットギャグの常だが、はじめはみんなが腹を抱えて笑っていたのに、旬を過ぎると「なにが面白かったんだろう」と一気に飽きられ、敬遠されるようになる。
確かにコマネチにも「飽き」の波は来た。
しかし、コマネチは簡単には終わらなかった。
当時の視聴者はこう思っていたはずである。
『まったくね、今日はね、こんなに集まってもらってねぇ、うるせぇよバカ野郎!』
「たけしだ。またコマネチだろ、さすがに飽きてきたよなぁ。こいつも消えるな」
『コマネチっ!』
「ほらきたっ、」
『…コマネチ、コマネチ、コマネチ、コマネチ、コマネチっ!』
「えっ、えっ!一回じゃない!しかもスゲー速いし、なんかエグい動きになっててムッチャ面白いやん!たけしヤベぇ、コマネチヤベぇ!」
コマネチは「消費される」という危機を『過激化/高速化』することで乗り越えようとしたのである。
この「高速化コマネチ」における、股間まわりの素早い動きがマスターベーションの隠喩だったことは公然の秘密である。
つまり「ナディア・コマネチ=スケベ心=マスターベーション」という三点がたけしの「高速化コマネチ」により一つに融合し「コマネチの真似をしているはずなのに、コマネチを見て考えていたスケベ心が具象化される」という奇跡が起きたのである。
高速化したことによる思惑は的中、コマネチは再び『タブーを破るもの』として性質を帯び、またしても国民を熱狂させたのである。
■その後のコマネチ
コマネチのピークを「THE MANZAI」とするなら、芸人ビートたけしのピークはその直後「俺たちひょうきん族」とすることに異論はないはずである。
「ひょうきん族」時代のたけしはコマネチにあまり積極的でなかった。
「たけし=コマネチ」というイメージからの脱皮をはかっていた時期であるし、なりより視聴者は「タケちゃんマン」という新たなペルソナの虜になっていた。
再びコマネチが表舞台に出てきたのは、芸人としての挑戦を一段落し、映画監督北野武としての名声を築いていた時期だと思う。
そこには「ベネチア監督のオレが変なポーズしちゃうよ」というおふざけと「笑い以外で評価された」 ことによる余裕と「新たな挑戦にも疲れたし、そろそろ昔のギャグで食べるのもいいだろ」という意識変化があったことが伺える。
この後期コマネチの特徴としては「遅い」「単発」「力の抜けた声」「若干の笑い/拍手待ちの間」が上げられる。
これを「去勢されたコマネチ」と呼ぶ。
これが90年代後半のTVで育った世代にはスタンダードであり、「コマネチ」の最終形態である。
■次回予告
ここまで紙幅を割いてコマネチの発生、拡大、衰退、安定の歴史を紐解いた。
次回、ついに本稿の冒頭で述べた私の主張「『コマネチ』はビートたけしに似合っていない」についての持論を展開させて頂く。
さあ、コマネチの話をしよう。
■追記:コマネチの起源
何年か前にコマネチについて文章を書いた。
その中で「コマネチというギャグは偶然生まれたのではないか」という仮説を立てた。
最近、たけしがインタビューでコマネチの起源について語っていた。
「ネタでよぉ、コマネチの名前がトンじゃってよぉ。『あれ、アイツ、なんつったっけ、コレだよ(股間の前でVポーズ)コレ(股間の前でVポーズ)。』ってやったらウケちゃって、それがコマネチのはじまりなんだよね」
大体、合っていた。